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蓮性院の縁起

明治45年(1912年) 移設開創

 本寺院は、明治45年(1912年)7月に、当時の南高根沢村(現在の芳賀町)より移設開創された 日蓮宗の寺院です。
 開山の年代は不詳です。

 明治時代の後半、現在の宝積寺周辺(当時の阿久津村)では、明治32年(1899年)に東北本線の宝積寺駅が開業したことにより、周辺の人口が急増し駅前の街並みが整うのにともない、寺院建立の必要性が高まりました。

 

 そこで、明治45年(1912年)、堂宇を現在の地である宝積寺東町に移転することが、寺院関係者(山口宏雄氏、芝沼瑞良、須藤南教、大谷甚六、野澤留次、石塚清三郎ら)により協議決定されました。

 

 大正5年(1916年)2月、塩谷郡、河内郡、那須郡、芳賀郡の有志信徒の寄付により建築竣工。

 

 昭和16年以前は、顕本法華宗に属していましたが、昭和16年(1941年)の「三派合同(さんぱごうどう)」により日蓮宗となりました。

平成27年(2015年) 新本堂建設

 平成23年(2011年)3月の「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」により、本堂を全壊。

 平成27年(2015年)4月に再建し、現在に法燈を受け継いでいます。
旧本堂(東日本大震災被災直後) (撮影:平成23年3月)

「宝積寺」の地名由来

「宝積寺」という地名の由来については、伝承されている説が幾つかあります。
そのうちの一つの説が「高根沢町史」で下記のように記述されています。

宝積寺村 
 鬼怒川左岸、中阿久津村の南に位置している。
 近世当初から宇都宮藩領であったが、中阿久津村とともに天明年間には一時幕府領となり、その後また宇都宮領として明治を迎えている。
 この村名の由来について、「地誌編輯材料取調書」は次のように伝えている。
 宇都宮国綱によって慶長二年(一五九七)下阿久津村の字月馬場に宝積寺という尼寺が建立された。
 同八年にこの寺が鎌倉に移転して廃寺となったとき、その名を惜しんで下阿久津村を改称し、宝積寺の号を村名としたものである。

出典;「高根沢町史通史遍Ⅰ」
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